1967年4月27日生まれ
血液型:A型
出身地:奈良県
平凡な中学生時代を過ごしました。クラブは、バレーボール部でした。
高校に入学してからは、美大志望でしたが自分の才能と実力のなさに諦めました(笑)
進路を決定しないといけなかったので、当時は日本で唯一の
鍼灸大学になんとなく
決めてしました。(今の学生さんにも有りがちな、スポーツトレーナーとかになれたら
いいかなぁ。ぐらいの軽い気持ちでした。のちに衝撃的な事になるともつゆ知らず)
ただ、入試科目だった生物を勉強しているうちに、もの凄く生物が好きになり
遺伝子の勉強がしたくなり、進路を遺伝子の勉強が出来る大学に行きたいと
両親にも伝えたのですが、先走りすぎたのか、時代が早すぎたのか。
今とちがい、インターネットもなく、両親も学校の先生方も情報がなくどうしたらいいか
分からないとの事で、結局は鍼灸大学を受験しまし、なんとか合格致しました。
衝撃走る
それは、入学式当日でした。
入学式のあと、教科書、入学記念品なども渡されました。
学生寮に帰って、
びっくり!
何と、鍼ともぐさのセットがあるではありませんか。
実は、鍼灸大学を目指していたと言いながら、どちらかと言うと
理学療法士のイメージだったのです。
その時、今すぐ辞めたいと思いました。本当に。
4月の中を過ぎた頃、また衝撃が。
本格的に授業がはじまり、解剖学、生理学、生化学
本当に面白かったです。
鍼灸の実技や学科には全く興味がなかったです。鍼灸大学のに。
(鍼灸専門教科、実技興味がなかったことが、後々大変ことに)
ただ、現代鍼灸や西洋医学系の内科学、整形外科学、耳鼻咽喉学など大好きでした。
大学4回生の時に、鍼灸大学始めって以来、今後は誰も認めないと学校側からも言われた
前代未聞の
柔道整復師の専門学校のダブルスクールを行いました。
大学卒業後は、すぐに三田市に鍼灸院を開業いたしました。
大学卒業後に
上海に鍼灸研修に参りました。
衝撃でした。鍼灸ってすごいかも。
中医学ってすごい。
開業と同時に、鍼灸(中医学、漢方薬など)を一からやりなしました。
開業するともちろん、患者さんが来院されます。
なぜか、難病ばかりお越しになられます。
私の人生、治療に関する師匠にこの頃に、めぐり逢います。
その方は、京大医学部で教授をされておられた方でした。
(初めてお会いした時には退官されていました。現在は亡くなられておられますので
お名前は伏せさせて頂きます。)
師匠は、気功などの東洋医学にも精通されておられました。
西洋医学と東洋医学の両方を使いこなされ、真剣にご指導頂きました。
ずっと、お傍で勉強させて頂きたかったです。
いろんな難病の患者さまの施術をしていくうちに
自分の技術、知識の無さに痛感させれました。
そして、もう一度上海にいきました。
やはり、そこには答えがありました。
師匠によく言われました。
『白井さん、努力が足りない。患者さんを診るはしくれなら
もっと勉強しなさい。一生勉強しなさい。治療に完成に完成はありません。』
ご縁があり、現在の箕面市で細々と毎日施術させて頂いておりますが
未だに私の施術は完成いたしません。
日々、精進です。